3.6 政治システムと環境政策
ドイツでは、1970年代後半以降、エコロジー運動が定着していった。ドイツ環境・自然保護同盟(BUND)などの組織化を背景に、77年から自治体選挙への参加が始まった。州レベルで議席を獲得していった組織は、やがて「緑の党」を結成し、83年の連邦議会選挙で5.6%、27議席を獲得するなど、連邦の政党システムにも定着していった。緑の党は、環境問題を中心に新しい争点を定着させた。政権交代があっても環境政策の展開に歯止めがかかることはなく、むしろ環境問題の深刻さが認知されるにつれて、重要度は高まった。86年には独立の環境省の設置を見る。これらにより西ドイツの環境規制はヨーロッパにおいてもっとも詳細なものとして知られている。(*20) 今泉(1997) (*21)では、「車のない住宅地実現に立ち上がった市役所員」として、ブレーメン市環境保全課に勤めるミヒャエル・グロッツ・リヒター氏の活躍がとりあげられている。「車のない住宅地」は、当初は嘲笑の的にしかならなかったが、彼が行政や市議会の人々を説得してまわるとともに、このコンセプトを緑の党所属の環境副市長が政治的に強く支持したこともあり、市議会の委員会では全会一致でこの案が認められたのである。
ドイツでは、政治・行政機関だけでなく、あらゆる主体が環境政策上の意思決定過程へ早期に参加することが、協同原則の核心をなすものであると考えられている。その具体例として、連邦自然保護法では、自然保護に影響を与える法規制や計画の実施、変更に際して、一定の要件を満たす民間非営利団体に意見表明権や書類の閲覧件を付与し、またいくらかの州では団体訴訟が認められている。連邦環境省の調べによれば、平成10年5月現在、連邦政府により20団体、州政府によって115団体が同法の認証を受けており、環境政策遂行上のパートナーとして活動している。(*22)
*20 | 小川有美 他(1999)『国際情勢ベーシックシリーズ(6) EU諸国』自由国民社,219−221ページを要約 |
*21 | 今泉みね子(1997)『ドイツを変えた10人のパイオニア』白水社,71−81ページ |
*22 | 環境庁編『環境白書(平成12年版)』202ページ |