「日本的雇用慣行」についての評価
◎評価の視点と「日本的雇用慣行」の定義
「日本的雇用慣行」は、戦後半世紀にわたって日本企業に普遍的な雇用システムとして存在し、社会に大きな影響を及ぼしてきた。他方、長引く平成不況や少子高齢化・国際化を背景に、「日本的雇用慣行」はそのあり方の転換を余儀なくされている。これらの観点からすれば、「日本的雇用慣行」は何らかの経済的合理性とともに、何らかの不合理性をもっていたといえる。また、近年の雇用システムの変遷は、欧米を模倣している要素もあれば、日本の独自性を保っている要素もある。これは、経済的に合理的な要素が取捨選択されているものと考えることができる。そのため、ここでは主に経済的合理性・不合理性の視点から「日本的雇用慣行」を評価していく。なお、単に生産面に限らず、個々の労働者のコスト・ベネフィットを含めて評価していくことにする。
ところで、「日本的雇用慣行」とは、おおよそ「年功賃金」・「終身雇用」・「企業別組合」を柱とし、労使間に協調的な関係を保ちながら、企業内訓練を通じて人的資本形成を行う慣行であったといえる。もっとも、近年はその形態が崩れつつあり、日本企業における雇用形態は変遷過程にある。ただ、その過程は従来の「日本的雇用慣行」を段階的に変化させているものであり、従来のものと全く別の雇用システムが形成され、定着してきているわけではない。そのため、ここでは企業内熟練形成に基づくシステムとして「日本的雇用慣行」を定義し、評価していくことにする。
◎「日本的雇用慣行」の経済的合理性・ベネフィット面
勤続年数に応じて賃金が上昇していく日本の「年功賃金」制であるが、実際にはあらゆる面で人事評価がなされるようになっており、企業内部において「仕事競争メカニズム」が働いている。「人事考課なき「同一労働同一賃金」の欧米よりも、勤続を積むうちに職務能力を開発することを個人的に査定して賃金を個別的に細かく格差付ける日本のほうが、はるかに「能力主義的」だ」(熊沢1997)との指摘もある。つまり、労働者の勤労意欲をうまく引き出す合理的なシステムになっているのである。そのうえ、労働者に対して企業内で長期にわたる業務上の訓練を授けることにより、労働者の熟練の水準を全体的に引き上げるようになっているので、きわめて効率的なシステムとなる。
企業内熟練形成のシステムは、人的資本を企業の負担で投資することと位置づけられる。このシステムは、就職前の自己負担による技能形成や公共の職業訓練と比べて、「買い手保証付きの技能形成」ということができ、労働者の需要面とのミスマッチが起こりにくい。そして、企業の負担で投資した人的資本が短期間で失われると企業にとって損失となるため、不況時でもそのような人的資本を手放すよりは遊休させようとしてきた。このような事情が、長期勤続を有利とするような賃金体系をもたらしながら「終身雇用」の慣行を定着させ、雇用の安定をもたらしてきた。
「企業別組合」における労使協調主義は、当然ながら双方の利益になるような雇用形態になり、属人的給与とあわせて、労働者の勤労意欲をうまく引き出す合理的なシステムになる。欧米では、フラットな賃金体系のもとで高コストな若年の失業が深刻な問題となっているが、日本では若年の未熟練労働者を低コストで雇用できるため、ほとんど問題にならなかった。
以上のように、「日本的雇用慣行」は企業・個々の労働者・社会にとって、大きな経済的合理性やベネフィットをもたらしてきたといえる。
◎「日本的雇用慣行」の経済的不合理性・コスト面
「仕事競争メカニズム」が働き、能力主義的側面ももっていた「年功賃金」であるが、それでも日本企業での勤続年数に応じた賃金上昇は、実際の能力を乖離したものであった。このことは、長引く平成不況でリストラが進められる際、実際の能力に見合わない程度まで給料が高めに設定されている人的資本、つまり中高年労働者から手がつけられたことに基づく判断である。そして、リストラの対象にされやすい中高年労働者が再就職を求めようとしても、特定の企業内でしか通用しない単一の技術に特化しているため、長期間の失業に陥る。つまり、実際の能力から乖離した賃金が企業にとって負担となり、失業に結びつきやすいという点で、年齢層が異なるものの、欧米の若年失業の問題と似通っている。
景気循環を通じた雇用の安定も、実は下請企業や非常用雇用者を調節弁としているうえ、常用雇用者に対しても平時から残業を前提とした就業体制を維持しているためである。また、高い経済成長のもとで労働需要が長期的に拡大してきたという背景があり、「日本的雇用慣行」が過大評価されがちだったのである。日本における不況時の低失業率が諸外国から注目されてきたり、そのような雇用安定の限界が、長引く平成不況下でリストラの続く状況から説明されることは多かった。しかし、日本企業の雇用安定性は実質的には諸外国と変わらず、表面上のものにすぎなかったのである。それよりもむしろ、諸外国より労働環境が悪いとさえいえるかもしれない。
日本企業の内部労働市場における「仕事競争メカニズム」は、サービス残業などの長時間労働・有給休暇の未消化や頻繁な配置転換・転勤・単身赴任など、相当なコストを伴っている。そして、夫婦共稼ぎが妨げられたり、[統計的差別によって女性の賃金が低く抑えられる]<=>[女性の離職率が高くなる]という悪循環メカニズムが働いたりしながら、「男は外で、女は家で」という古い慣わしを根強く残す一因にもなっている。
長期雇用における企業内訓練のシステムにおいては、大学等の高等教育が内容面であまり意味を持たない一方で、企業側は「学歴」(主に卒業学校銘柄)を一層重視して統計的差別を行う。これは、訓練費用を安く抑えるべく、情報の不確実性のもとで訓練可能性(受容力)の高い労働者をスクリーニングするためである。企業の負担で訓練してくれるベネフィットにも、意義の薄い高等教育に対する金銭・時間・労力など、労働者(就職前の学生)に相当のコストが伴っているのである(米国も「学歴社会」といわれているが、その教育内容に着目したものであり、高等教育が内容面で意味を持っているため、それにかけるコストはそれほど無駄にならないといえる)。
以上のように、「日本的雇用慣行」は企業・個々の労働者・社会にとって、経済的合理性やベネフィットだけでなく、経済的不合理性やコストをももたらしてきたといえる。
◎経済的合理性・不合理性とコスト・ベネフィットの比較衡量に基づく評価
以上のように、「日本的雇用慣行」には、さまざまな形で経済的合理性・ベネフィットと経済的不合理性・コストが混在していた。したがって、「日本的雇用慣行」が絶対的に優れているとか劣っているといった評価はできず、経済的合理性・不合理性とコスト・ベネフィットの比較考量が必要となってくる。
まず、労使関係を単に私人間契約と考える。すると理屈上、労働者側はきちんと仕事をこなすことを前提に、納得のいく労働環境を選ぶことができ、使用者側は経済的合理性を念頭に置きながら、労働者側に受け入れてもらえる最低限以上の条件を提供しなければならない。なお、現実には自由契約といっても労働者側が不利な立場に置かれやすい。すると、少なくとも企業は経済的合理性に基づいた経営方法をとる。一方、法律による規制が作用したり、労働組合が機能することによって、ある程度は労使が対等に近い関係をもつことになるので、以上に示したようなそれぞれのコストが、そのベネフィットに見合っているか否かは、個々の労働者の主観次第である。したがって、個別の関係に着目した場合は、せいぜい「日本的雇用慣行」を一長一短のシステムとしか説明できず、コスト・ベネフィットを客観的判断に基づいて比較考量することはできない。
ただ、個別の関係に着目した場合は上述のとおりであっても、「日本的雇用慣行」が日本企業全体としてあまりにも普遍的なシステムであったため、個々の労働者は必ずしも納得のいく労働環境を選ぶことができるとは限らなかった。たとえば、「年功賃金」が企業一般的であれば、いわゆる「後払い賃金」の制度を受け入れなければならない。すると、自らの意志で転職したい場合でも、本来先に受け取るべきだった賃金を放棄し、転職先でも退職金を含めた賃金面で不利な扱いを受けなければならない。このことは、たとえ生涯賃金が同額になる制度であっても、定年まで同じ企業に勤めつづけるという選択を強いられることを意味する。また、長期雇用における企業内訓練のシステムのもとでは、性別や学歴などによる統計的差別が多用されるため、被差別労働者にとって不当に労働条件が狭められる場合があった。このように、「日本的雇用慣行」には、個々の労働者の「労働環境を選択する自由」があまり保障されていないという短所があったと考えられる。
また、そもそも「経済」が、利潤の分配によって生活を向上させたりすることを目的としている点に着目すると、企業の都合、つまり「経済」的合理性のために性別や学歴などによる統計的差別をすることは、社会全体の問題として性差別が根強く残ったり、学歴偏重による教育問題が生じたりといった弊害との比較考量には到底勝らないと考えられる。
以上のように、企業・個々の労働者・社会のそれぞれの視点から「日本的雇用慣行」の経済的合理性・不合理性とベネフィット面・コスト面を比較考量すると、経済的合理性の面では実質的に諸外国と大差がないものの、個々の労働者や社会にとってのコスト面がベネフィット面に比べて相対的に大きいと評価される。
◎近年の変遷過程を含めた評価
なお、前項で述べた「日本的雇用慣行」の劣位性は、近年の日本企業における雇用形態の変遷過程で、払拭される可能性が高いと判断する。
まず、従来の「年功賃金」のように、中高年労働者の給料がその能力を乖離して高く設定されることはなくなり、欧米のように、熟練段階と無関係にほぼ一定の給料が設定されるわけでもなく、本当の意味で個々の労働者の能力に見合った賃金が設定されるようになりつつある。また、長期的雇用形態を部分的に残し、熟練を要する分野での人的資本を確保しつつ、企業一般的な分野について雇用の流動化が進められている。これらのことは、一見雇用不安が高まるようであるが、経済的合理性を保つことで特定年齢層に失業が集中することがなくなるうえ、中途採用機会の拡大につながり、不本意な転職を強いられることがなくなるなど、個々の労働者の「労働環境を選択する自由」が保証され、また不当な統計的差別が減少していくことが期待できる。
もっとも、過渡期にある現在、定年まで勤めるつもりで解雇されるなどの不安定要素は少なくない。しかし、長期的視野に立てば、より柔軟で優れた雇用システムへの方向性をもった、近年の「日本的雇用慣行」の変遷過程は、大いに評価できる。
参考文献
八代 尚宏[1997]「日本的雇用慣行の経済学」日本経済新聞社
熊沢 誠[1997]「能力主義と企業社会」岩波新書
中馬 宏之・樋口 美雄[1997]「労働経済学」岩波書店
金子 元久・小林 雅之[1996]「教育・経済・社会」財団法人 放送大学教育振興会